2010年 05月 16日
「醜さ」と、「美しさ」
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M1の湯浅です
5/13、ゼミの後に、早稲田大学で開かれた「デバイスアートシンポジウム」に参加。興味深い発言がとても多かったので、以下にメモ的に残しておきます。僕のフィルターがかかってるので、原文そのままではないです。
ちなみに、ほとんど思想の話に終始して、いつものゼミのような雰囲気でした。
__________________
まず、デバイスアートとは何か?
応用芸術であり、デザインの一部とも言える
電気掃除機のような便利さはないが、私たちの思考を広げ、
驚きをもたらしてくれる。(ナンセンスマシーンのようなものが多い)
__
工学系の人の作品と、デバイスアート、アウトプットだけ見ればどちらもナンセンスマシーンだが、違いはあるのか?どちらもアートと呼んでいいのか?
(全アートに通用するのか分からないのでここではデバイスアートに限って言えば)アートとなるには作者の芸術史の理解を前提とした「思想」が必要である。それがないものはアートではない。
発明家と研究者の関係に似ている。
発明家は、パッと思いついたものを作る。
研究者には、過去の研究の文脈の理解が必要。
__
テクノロジーの進化がアーティストを追いつめている。
現代ではさらに創造的になるしかない、プロフェッショナルでいるには常に前衛的でなければならない、世界で誰も見たことがないものを。
__
まずつくれ。
__
ものを作る人には二通りしかいない。自分の「赤ん坊」をつくるか、「うんこ」をだすか。赤ん坊はかわいくて仕方がないもの。うんこは出さなきゃいけない衝動(義務?)にかられて出すもの。
__
「醜いこと」と、「美しくないこと」は違う、醜いものの方がおもしろく、作者の顔が見たくなる、美しいことがある。
__
クレイジーさ
はじめからやりたいことが決まってたらたいしたものは出来ない。
オープンエンド、まだ誰も答えの分からないコミュニケーションを。
答えの分かっていることなどコミュニケーションではない。
アートをどう見るかは、それを見た人が付加するコンテクストによる。
Art is open communication.
方向、展開、内容は変わっていく。人それぞれが何かを読み取る。
__________________
特に「醜いこと」と、「美しくないこと」は違うという考え方には深く衝撃を受けた。今の世の中、とりあえずキレイで、端正に、白くてなんだか洗練されているっぽい感じの物が溢れている(学生の作品にも多い)。高得点なプロダクト、グラフィック。嫌な気分じゃない。でも美しいってそういうことじゃなくて、なんかもっと違うものだよな、なんてモヤモヤ思っていたところを上手く表現してくれた。
醜いと美しいは、一直線上にはない。
余談ですが、早稲田のキャンパスは散らかってるところはちゃんと散らかっててよかった、掲示板がいたるところにあり(それも4mくらいの高さ!)ポスターの上にポスターが貼られ、破られて四隅の画鋲とその周辺の千切れた紙だけのものも、破られていないものと同じくらい大量に残っていた。反米軍基地のデモの立て看板が至る所に掲げられ、それ以外にもシンポジウムやイベントの告知看板は筆で文字が書かれているものがほとんどだった。そこには学生の活動のエネルギーが感じられた。おもしろそうと思ってしまった。
キレイで居心地のいい場所では、キレイで居心地のいいものしか生まれないと感じた。得体の知れないよくわからないパワーを秘めていて、何かおこりそうな場所では、きっと得体の知れないよくわからない何かが起こるのだと思う。
この研究室、まだ開始したばっかりだが、そんな雰囲気を目指したいと思ったなう。
5/13、ゼミの後に、早稲田大学で開かれた「デバイスアートシンポジウム」に参加。興味深い発言がとても多かったので、以下にメモ的に残しておきます。僕のフィルターがかかってるので、原文そのままではないです。
ちなみに、ほとんど思想の話に終始して、いつものゼミのような雰囲気でした。
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まず、デバイスアートとは何か?
応用芸術であり、デザインの一部とも言える
電気掃除機のような便利さはないが、私たちの思考を広げ、
驚きをもたらしてくれる。(ナンセンスマシーンのようなものが多い)
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工学系の人の作品と、デバイスアート、アウトプットだけ見ればどちらもナンセンスマシーンだが、違いはあるのか?どちらもアートと呼んでいいのか?
(全アートに通用するのか分からないのでここではデバイスアートに限って言えば)アートとなるには作者の芸術史の理解を前提とした「思想」が必要である。それがないものはアートではない。
発明家と研究者の関係に似ている。
発明家は、パッと思いついたものを作る。
研究者には、過去の研究の文脈の理解が必要。
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テクノロジーの進化がアーティストを追いつめている。
現代ではさらに創造的になるしかない、プロフェッショナルでいるには常に前衛的でなければならない、世界で誰も見たことがないものを。
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まずつくれ。
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ものを作る人には二通りしかいない。自分の「赤ん坊」をつくるか、「うんこ」をだすか。赤ん坊はかわいくて仕方がないもの。うんこは出さなきゃいけない衝動(義務?)にかられて出すもの。
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「醜いこと」と、「美しくないこと」は違う、醜いものの方がおもしろく、作者の顔が見たくなる、美しいことがある。
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クレイジーさ
はじめからやりたいことが決まってたらたいしたものは出来ない。
オープンエンド、まだ誰も答えの分からないコミュニケーションを。
答えの分かっていることなどコミュニケーションではない。
アートをどう見るかは、それを見た人が付加するコンテクストによる。
Art is open communication.
方向、展開、内容は変わっていく。人それぞれが何かを読み取る。
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特に「醜いこと」と、「美しくないこと」は違うという考え方には深く衝撃を受けた。今の世の中、とりあえずキレイで、端正に、白くてなんだか洗練されているっぽい感じの物が溢れている(学生の作品にも多い)。高得点なプロダクト、グラフィック。嫌な気分じゃない。でも美しいってそういうことじゃなくて、なんかもっと違うものだよな、なんてモヤモヤ思っていたところを上手く表現してくれた。
醜いと美しいは、一直線上にはない。
余談ですが、早稲田のキャンパスは散らかってるところはちゃんと散らかっててよかった、掲示板がいたるところにあり(それも4mくらいの高さ!)ポスターの上にポスターが貼られ、破られて四隅の画鋲とその周辺の千切れた紙だけのものも、破られていないものと同じくらい大量に残っていた。反米軍基地のデモの立て看板が至る所に掲げられ、それ以外にもシンポジウムやイベントの告知看板は筆で文字が書かれているものがほとんどだった。そこには学生の活動のエネルギーが感じられた。おもしろそうと思ってしまった。
キレイで居心地のいい場所では、キレイで居心地のいいものしか生まれないと感じた。得体の知れないよくわからないパワーを秘めていて、何かおこりそうな場所では、きっと得体の知れないよくわからない何かが起こるのだと思う。
この研究室、まだ開始したばっかりだが、そんな雰囲気を目指したいと思ったなう。
by ishou_keitai
| 2010-05-16 05:31
| イベント