2012年 09月 07日
プライベートとパブリック
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「ひとりで思いつく夢、ファンタジーは最終的には決して他者と共有できるものではありません。もちろん強要はできますが。そこで他者と共有できる夢とはいったい何なのかを探し始めるとき、ひとりで見ていた夢がとてもちっぽけで、世界にとって大して意味のないものに感じられてくるんです。みんなと一緒に見ることのできる夢というのは結局、リアリティということなのです。ここでいうのは観念レベルでのリアリティではありません。世界に本質的な変化の機会を与えるほどの力をもったものです。今まで芸術家はこんなレベルのリアリティにまでつきあうことを避けてきた(避けさせられてきた)かのように思えるんですが、これからはそこまでの度量が芸術家にも要求されてくるでしょう。ひとりの夢を投げうってリアリティと立ち向かうとき、何らかの形で世界とコミットしているという実感があります。」ー 古橋悌二 memorandum リトルモアから抜粋 ー
彫刻の森美術館を調査した後のゼミで、プライベート(アート)とパブリック(アート)の違いは何かと考えながらしゃべっていたとき、実を言うと僕の中では古橋さんのこの言葉が頭の中を駆け巡っていた。
みんなで共有できる夢とは何かと考えたとき、過去には神社であり、お寺であり、伽藍彫刻であり、仏像であっただろう。またそれらを支える信仰であっただろう。それらが現代とは比べものにならないほどリアリティがあった時代、人々はそこから心の安定や救いを得ていたはずである。
そこで、では、現代において、みんなで共有できる夢とはいったい何なのかという疑問が沸き上がる。世界が狭く(広く)なった結果として価値観が多様になった現代社会において、はたしてそのような夢は可能だろうか?
つづく…
Tauchi
彫刻の森美術館を調査した後のゼミで、プライベート(アート)とパブリック(アート)の違いは何かと考えながらしゃべっていたとき、実を言うと僕の中では古橋さんのこの言葉が頭の中を駆け巡っていた。
みんなで共有できる夢とは何かと考えたとき、過去には神社であり、お寺であり、伽藍彫刻であり、仏像であっただろう。またそれらを支える信仰であっただろう。それらが現代とは比べものにならないほどリアリティがあった時代、人々はそこから心の安定や救いを得ていたはずである。
そこで、では、現代において、みんなで共有できる夢とはいったい何なのかという疑問が沸き上がる。世界が狭く(広く)なった結果として価値観が多様になった現代社会において、はたしてそのような夢は可能だろうか?
つづく…
Tauchi
by ishou_keitai
| 2012-09-07 22:50
| 夏期ゼミ2012